風雪のビバーク |
記念すべき、ヤマケイ文庫創刊第一号に選ばれた、この本は小説ではなく、若くして北鎌尾根に散った、稀代のアルピニスト、松濤明の登山記録を纏めたものです。
昭和13年から始まる登山記録は穂高生活から始まります。
8月4日に穂高に入山し涸沢をベースキャンプに28日まで、北尾根三峰フェイス、ジャンダルム飛騨尾根、北穂高東南稜・・・そして、滝谷第四尾根と最高難度のルートを単独で登ります。
このとき、なんと、16歳!
その後、学徒出陣の2年を除き、精力的に山に登ってます。
食料・物資不足、交通機関の混乱の中でも、登ってます^^;
そして、昭和24年、有元克巳と供に厳冬期の北鎌尾根へ。
凍える指先で綴られた行動記録は、動けなくなった岳友の傍らで死を覚悟し、遺書へと・・・
一月四日 フーセツ
天狗ノコシカケヨリ ドッペウヲコエテ 北カマ平ノノボリニカカリテビバーク、カンキキビシキタメ有元ハ足ヲ第二度トーショーニヤラレル、セツドーハ小ク、ヤ中入口ヲカゼニサラワレ 全身ユキデヌレル。
一月五日 フーセツ
SNOWHOLEヲ出タトタン全身バリバリニコオル、手モアイゼンバンドモ凍ッテアイゼンツケラレズ、ステップカットデヤリマデ ユカントセシモ(有)千丈側ニスリップ上リナホス力ナキタメ共ニ千丈へ下ル、カラミデモラッセルムネマデ、一五時SHヲホル
一月六日 フーセツ
全身硬ッテ力ナシ 何トカ湯俣迄ト思フモ有元ヲ捨テルニシノビズ、死ヲ決ス
オカアサン アナタノヤサシサニ タダカンシャ、一アシ先ニオトウサンノ所へ行キマス。
何ノコーヨウモ出来ズ死ヌツミヲユルシ下サイ、ツヨク生キテ下サイ
井上サンナドニイロイロ相談シテ
井上サン イロイロアリガトウゴザイマシタ カゾクノコトマタオネガヒ
手ノユビトーショウデ思フコトノ千分ノ一モカケズ モーシワケナシ ハハ、オトートヲタノミマス
有元ト死ヲ決シタノガ 六時
今 一四時 仲々死ネナイ 漸ク腰迄硬直ガキタ、全シンフルへ、有元モHERZ、ソロソロクルシ、ヒグレト共ニ凡テオワラン
ユタカ、ヤスシ、タカヲヨ スマヌ、ユルセ、ツヨクコーヨウタノム
サイゴマデ タタカウモイノチ 友ノ辺ニ スツルモイノチ 共ニユク
父上、母上、私は不幸でした、おゆるし下さい
治泰兄 共栄君 私の分まで 幸福にお過ごし下さい
実態調査室ノ諸士、私のわがままを今迄おゆるし下さいましてありがとうございました
井上さん おせわになりました
荒川さん シラーフお返しできず すみません 有元
我々ガ死ンデ 死ガイハ水ニトケ、ヤガテ海ニ入リ、魚ヲ肥ヤシ、又人ノ身体を作ル、個人ハカリノ姿 グルグルマワル 松ナミ
竹越サン 御友情ヲカンシャ
川上君 アリガトウ
有元
井上サンヨリ 二千エンカリ ポケットニアリ
松濤
西糸ヤニ米代借リ、三升分
手記はここで終わっています。
市立大町山岳博物館には、登山記録を記した手帳が展示されています。