2012年 11月 29日
霞沢岳―クラッシックルートで徳本峠へ |
清流梓川の向こうに、遠く、高く、雄々しく、そびえる穂高連峰。その圧倒的な存在感の陰に隠れる不遇の山(?)霞沢岳。標高は2,646m。頂上部の三本槍からの眺望はまさに穂高の展望台。百名山に選ばれなかったことも幸いして静寂の中で迫りくる焼岳や西穂、奥穂、前穂、明神の絶景を一人占め出来ます。
そんな渋い山、霞沢岳へのアプローチは徳本峠(とくごうとうげ)から。
現在のようにバスで入るルートが開拓されるまでは、皆、島々から徳本峠を越えて上高地入りしていました。
高村光太郎の「智恵子の半生」の中に
大正二年八月九月の二箇月間私は信州上高地の清水屋に滞在して、その秋神田ヴイナス倶楽部で岸田劉生君や木村荘八君等と共に開いた生活社の展覧会の油絵を数十枚画いた。其の頃上高地に行く人は皆島々から岩魚止を経て徳本峠を越えたもので、かなりの道のりであった。その夏同宿には窪田空穂氏や、茨木猪之吉氏も居られ、又丁度穂高登山に来られたウエストン夫妻も居られた。九月に入ってから彼女が画の道具を持って私を訪ねて来た。その知らせをうけた日、私は徳本峠を越えて岩魚止まで彼女を迎えに行った。彼女は案内者に荷物を任せて身軽に登って来た。山の人もその健脚に驚いていた。私は又徳本峠を一緒に越えて彼女を清水屋に案内した。
と、あります。
当然、今回は山の大先輩や文化人も歩いたクラシックルートを辿りました。
紅葉が始まる中、ゆっくりと。









島々8:00-秀綱石碑10:00-岩魚止小屋12:00/12:30-力水14:00-徳本峠15:40
そんな渋い山、霞沢岳へのアプローチは徳本峠(とくごうとうげ)から。
現在のようにバスで入るルートが開拓されるまでは、皆、島々から徳本峠を越えて上高地入りしていました。
高村光太郎の「智恵子の半生」の中に
大正二年八月九月の二箇月間私は信州上高地の清水屋に滞在して、その秋神田ヴイナス倶楽部で岸田劉生君や木村荘八君等と共に開いた生活社の展覧会の油絵を数十枚画いた。其の頃上高地に行く人は皆島々から岩魚止を経て徳本峠を越えたもので、かなりの道のりであった。その夏同宿には窪田空穂氏や、茨木猪之吉氏も居られ、又丁度穂高登山に来られたウエストン夫妻も居られた。九月に入ってから彼女が画の道具を持って私を訪ねて来た。その知らせをうけた日、私は徳本峠を越えて岩魚止まで彼女を迎えに行った。彼女は案内者に荷物を任せて身軽に登って来た。山の人もその健脚に驚いていた。私は又徳本峠を一緒に越えて彼女を清水屋に案内した。
と、あります。
当然、今回は山の大先輩や文化人も歩いたクラシックルートを辿りました。
紅葉が始まる中、ゆっくりと。









島々8:00-秀綱石碑10:00-岩魚止小屋12:00/12:30-力水14:00-徳本峠15:40
by kawasemi104
| 2012-11-29 01:22
| 山






